育休motto日記

2歳男児の育児日記。ときどき、社会に対する私見。

2020年と2017年の出産のちがい

一ヶ月健診も終わり、なんとか生活リズムを整えようと必死。だけど寝落ちの毎日。

忘れないうちに、前回の出産と今回の出産のちがいをまとめておこう。

 

今回と前回違う点は大きく2つ。1つは年を取ったこと。そしてもう1つは新型コロナの影響である。

 

年を取ったという点においては、よかったことと悪かったことどちらもある。

経産婦としてけいゆう病院に舞い戻ってきたので、いろいろと使い勝手はわかっていた。どこになにがあるのか、助産師さんの対応とか、1日のざっくりしたスケジュールとか。

気持ちの部分ではだいぶ余裕があったし、実際生まれてくるときも驚くほど冷静に「かるくいきむ」とかできたわけで。それが産んだ後の生活にゆとりをもたらしていた。

 

ただし、初産婦より経産婦のほうが退院が早いので、え?もう帰るの?みたいな感覚。(家に帰ったらどうせ慌ただしいんだからもうちょっとゆっくりさせてよ)

 

金曜に入院して火曜の午前中には退院。スパルタである。どこもそうなんだろうけど!

 

 

2つ目としてはやはりコロナの影響をもろにうけたお産であった。

産む前から、付き添いは禁止だし、立ち会い出産もナシ、入院中の面会もナシ。不安が募るばかりであった。入院中の上の子の様子とか、産むときに1人で入院手続きをするのとか出来るのか…と思って何度もシュミレーションしたものだ。

 

実際生まれるときは夕方の、家に姉がいるときだったので、上の子を預けて1人でタクシーに乗り込んだ。タクシーに乗っている最中も陣痛の波が来て、降りるときもいててて、というかんじだったが自分しかいないと思うと返って気を強く持つものであった。

 

2人目ということもありスーパー安産、かつ短時間だったのでそこはコロナの影響はないけれど、1人目のとき入り浸っていた『授乳室』はミルクを取りに行くだけの部屋になり、夜中にラジオを聴きながらみんなで「つらいけどがんばろう」的な励まし合いをしていた光景はなくなった。

当然、同室の4人も言葉を交わすことはほとんどなく、「シャワー使います」と声をかける程度。まぁ寝てたいからね、いいんだけど。これが初産ならお見舞いもなく、助産師さんも忙しく行ったり来たりで話し相手がいないんじゃ不安だよねと思った。

まぁ面会がなかったのは、あっという間に終わってしまった入院期間の中、ゆっくりすごせてよかった部分もある。でもまぁパパは残念がってた。

 

さらに調乳指導や沐浴の指導も、ぴっぴ(兄)のときには彼がモデルになったりして、和気あいあいと集まってやってたものも簡素化、少人数化。経産婦はご遠慮くださいとのこと。そりゃそうよね、密だものと思うのでした。

 

 

 

今回は退院後の2週間健診もスルー。上の子がいたら鬱になってる暇もありゃせんが、息抜きに1人で病院に行くのもよかったなぁと今なら思う。1ヶ月は家にいなきゃだけど、こりゃずーっと自粛が続いてるもんで気が滅入る。1人でどこか、帰りにコーヒーでも飲めば気持ちもリフレッシュするだろうに。

 

 

でも今回よかったこともある。それは2017年にいなかった麻酔科が復活して、時間さえ合えば無痛分娩ができるということだ。

お金に余裕があって、体が許すならせめて不安を取り除く意味でも、1人で戦うという意味でも無痛分娩を選択するというのは方法の1つだと思う。残念ながら時間も間に合わず、お産の進みが早すぎて麻酔が効く前に生まれてしまっただろうが、無痛分娩できるという心のゆとりはめちゃ大事!

 

これからお産に臨む人、けいゆうで産む人は不安も多いと思う。コロナだから子作りは今はやめとこうという人も居ると思う。一方で正しいし、これからどうなるかわからないことばかりだから不安も多いと思う。せめてこの記事を見て、そういうものなのか、と思ってもらえれば良い。案外病院の中は日常が流れていて、相変わらず高校生の合宿並みに盛られた白飯が疲れた体を癒してくれたのだった。