育休motto日記

2歳男児の育児日記。ときどき、社会に対する私見。

夫の育休、1年間。

わたしが一年育休を取るのは珍しくもないが、やはり夫が一年育休を取るのは珍しいだろう。

よく、育休を取ったお父さんが育休ブログを書いているが、夫はそういうことをしないので今回はわたしが客観的…というか妻の目から見た主観的な育休の様子を書こうと思う。

 

まず、育休をとったのは年度の切り替わりの2018年4月から2019年の3月だ。それまでの仕事がひと段落し、代わりの人材も確保できるので思い切って1年間の育休を申請した。夫はどちらかというと人当たりがよく、職場結婚なのでよくわかるが敵を作らないタイプだ。

当然根回しをボスを含めしていくわけだけど、とある人(上司)には「もう出世はない」など言われたようだった。何度か説得され、違うポジションを打診されたりしたけれど粘りに粘って、結果取得に至った。産むわたしからすると育休を取って当たり前だけど、男性というだけでこんなにも大変な思いをするのか。同じ親になるのにのっけから前途多難である。

 

まぁともあれ育休はスタートしたのだけど、この時すでにぴっぴ(息子)は4か月。

つまりわたしもすでに4か月ぴっぴのお世話をしているのであって、夫とはかなりのスキルの差がついていた。夫は生まれたての時から病院に通ったりしていたものの、年度末は激務で、さらに育休を取るための引き継ぎなどで22時帰宅はざらであり、夜は帰って寝る生活だった。

出産したお母さんが必ずといっていいほど思う、「なぜこんなに泣いているのに起きないんだ夫は!」というのも経験し、まぁしかし仕事をしているんだから仕方ない、少しでも寝かせてあげよう、とボロボロになりながら思ったものである。

 

そこからの育休。期待が嫌でもあがる。やったー2人で育休、苦労も半分こだ!!

 

しかしそんなにうまくはいかなかった。

夫からすると、久々の休み、時間や激務からの解放。一気に気持ちも緩む。

わたしも労をねぎらうように最初はいいよいいよ、今まで忙しかったんだから。4月はゆっくりしてなよ、なんてモードだった。夫は夫で思い描いていた育休ライフがあるものの、この家の主導権はすでにわたしが握っており、前面に押し出すのは躊躇していたように思う。それでも英会話教室に通って、ジムに通い、自分でも図書館で勉強するなど大真面目に育休を満喫していたように思う。

 

ただ、大学には通うので、ミルクの作り方とかオムツの替えかたとか、泣いた時の対処法とかは伝授していた気がする。わたしがお昼ご飯や、おっぱいは搾乳して冷凍して、月齢が進めば離乳食をスタンバイして「あとはあっためるだけだから!」の状態にして慌てて出かけた。その後のことは知らない。彼らの秘密の時間だ。

 

夫の性格は慎重で、世のお父さんのエピソードで聞くような、落っことしたりぶつけたりは全く心配しなくてよかった。むしろ息子を愛し、いかにケガや不安なことが無いように細心の注意を払っていた。しかしそう思うあまり、こちらとしてはもっといろいろやってもいいのになーと思うこともあった。

 

見ててくれるだけでありがたいんだけどね。そして何をしたらいいのかわからないからだと思うんけど。察してほしい妻と、言われなきゃわからない夫の典型的な感じ。

察してやっちゃうわたしの不満はまぁたまっていき、早い段階で家事分担をすることになるわけです。

 

我が家の傾向としてはこれが定番で、わたしが不満爆発→やってほしいことを訴える一方的な話し合い→夫、そうだったのね言ってくれてよかった→改善(夫の分担増える)という流れ。

そして夏ぐらいからなんだかいい感じになっていくわけです。

 

まだ歩けないぴっぴを抱っこしてもらって毎朝散歩に行けたのは良かった。たくさん話しかけて、いろんなものを見せてあげられた。 何より旦那がいることでわたしの気が楽になり、いつもせかせかイライラしがちな自分が鷹揚になれるのが嬉しかった。旦那もそこに一番の重きを置いていたかな。

 

はっきり言って1人だったら投げ出したくなることばかり。うまくいかない授乳、意思疎通、何で泣いてるかも原因不明だったり、ちょっとの熱に不安になったり。

そんな時に一緒にいてくれるだけで気持ちも半分楽になるんだから。

 

そうやって彼はわたしの機嫌をコントロールし(機嫌ぐらい大人なんだから自分で責任とれよ)穏やかに過ごすことができましたとさ。育休中に行ったあれこれはまた別の機会にでも。